なる治療院 代表
鍼灸師

伊東 歩
いとう あゆむ

1969年2月4日生まれ

ホームページをご覧頂きまして、ありがとうございます。
なる治療院の代表、鍼灸師の伊東 歩(いとう あゆむ)と申します。

鍼灸治療をはじめてから、25年になりました。

1969年2月4日に山口県で生まれた私は、父の仕事の関係で、倉敷、鳥取と引っ越しが続きました。
引っ込み思案で、なかなか友達ができなかったのを覚えています。

 

毎年骨折…

大学進学で名古屋に。このとき、あるものにハマってしまいました。オートバイのレースです。名古屋から鈴鹿サーキットが近かったこともあり、気がつけば毎週通っていました。

一度決めたらトコトンやる性格なので、
「どうせレースするなら遊びじゃなくて、プロを目指そう。そして世界グランプリで活躍するんだ」
とかなり熱くなっていました。

努力する才能だけは持っていたので、とにかく夢中で練習しまくっていました。
「限界までやらないと、トップにはなれない!」
と思っていた私は、サーキットで走るたびに転倒していて、毎年骨折や入院を繰り返していたのです。

ときには、骨折した脚でレースに出場。松葉杖で表彰台にのぼったこともありました。

 

周りのレース仲間が、ひとり、またひとりとサーキットを去り社会人になる中、気がつけば10年目。
そこでようやくレースの成績が認められ、国際A級ライセンスを獲得!
国内の最高峰、全日本選手権への参戦が叶ったのです。長かった…。

 

ようやく掴んだ夢が
30歳を目前にして、とにかくこれから成績を残して「世界へのチャンスを掴んでやるんだ!」と意気込んでいたのですが‥

全日本選手権第3戦、鈴鹿サーキットにて、またしても転倒。
時速200kmくらいでマシンから放り出され、数十メートルも転がったのです。

転がっている最中に、「ああ、手が折れた‥ 今度は足だ‥」と分かりました。
すぐに救急車に乗せられ、そのまま緊急手術。

結局、そのまま引退という苦い経験ばかりの20代を過ごしました。

仕事がない…
レースを引退した時期は、バブル崩壊で不景気。
「今まで何やってたの? レース? 使えねーな」
私が入れる会社はありません。

「手に職をつけるしかない」

そこから治療家の道がはじまりました。
「困っている人を救いたい」
というような美談ではないのです…

でも、治療は私に向いていました。

トコトンやる
地道に努力する
性格が、治療技術を高めるには土台となってくれたのです。

 

トコトン量子場調整

現在トコトン突き詰めているのは、量子場調整。

「治療家に依存するのではなく、患者さんが自立できるようにしたい」

と思っていた私にとって、量子場調整との出会いは衝撃的でした。

だって、意図しただけで身体が変わってしまうんですから。もう、治療家なんて必要ありません。

現在は、治療と並行して量子場調整のワークショップを開催。さらに量子場調整に磨きをかけるべく、自分自身の身体を実験台にして

50歳を越えてから陸上競技を始めて、どこまで速くなれるのか

というチャレンジをしています。

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